”食卓”と“おもてなし”と“豊かさ”と
昨日、会社関係のイベントでお友達3人とスカベンチャーハントみたいなことをやってきました!
お天気も良くて八重桜も楽しめたしスタンプも順調に集められて充実した一日。
歩き疲れたその夜、別の友人が私たちのためにコース料理を作ってくれました。
息をのんだ一皿
一皿ずつ、丁寧に丁寧に創り上げられたそれらは
まるでアートのように素敵で私たちは全員息をのみました。
SNSに疎い我々おばさん連中。
誰一人インスタグラムもやっていないくせに、一品一品毎回激しい写真撮影(笑)。
「食べるのがもったいない」と言いながらお皿にソースさえ残らないくらい完食。
出されたお料理は口に運ぶと、体の奥まで温かくなっていく。
ただ”美味しい”というより、
なんだか、心の中まで満たされていく感覚。
“おもてなし”とは見えない準備の積み重ね
聞くと料理してくれた友人はその日の朝から
ずっと、このステージのために頭と身体を動かしていたそうです。
「ご馳走」という言葉があります。
招待する側が、招いたお客ためにあちこち走り回る。
その意味が語源だと言われています。
私たちが目にしたのはまさしくこの”ご馳走”でした。
以前、私は茶道を習っていました。
茶道では、訪れるお客様のことをすべて考えます。
食事だけでなく調度品の好み、
その日の季節、
空気の温度。
部屋の設え、器の選び方、献立の一つひとつ。
すべてが、これからやってくる人への思いやりで成り立っています。
食材と向き合い、お客様と向き合い、
全ての心をその一皿に注ぎ込む。
それはただの料理ではなく、
”思いやり”とか”愛”の表現だと思うんです。
この友人が一日かけて用意してくれた空間。
この空間がここまで心地よいのは
その“想い”が作り上げた空間だったからですよね。
**この素晴らしい料理を作ってくれた彼女のブログはこちら→ [リンク]
「食事は、神聖な行為である」
そんなことを思っていたら、最近読んでいる森井啓二さんの言葉が浮かびました。
今読んでいる
「神の国日本の食と霊性」
という本で「食事は神事である」と、
彼は書いています。
食べることは、単なる栄養補給ではない。
魂を磨く、神聖な行為だと。
その神聖な行為と人間が持つ”相手を大切に想う心”、
そして楽しい仲間との会話が重なりあったら、
これ以上の素敵な空間はありませんよね。
「豊かな時間を味わう方法」
そして昨夜ベッドに入ってからふと思ったんです。
”お料理を作ってくれた友達のお陰で
本当に素敵に一日を終えられた。
でも今日一日が一番豊かだったのは若しかして・・”
と。
素敵なお料理を振舞ってもらった私たちは
もちろん満足で豊かな時を満喫しました。
でも、数日前から献立を考え、食材を探し、
朝から台所に立ち続けた彼女。
「みんなが喜んでくれるといいな。」
「この食材の命を、最高に活かしてあげるにはどうしよう?」
「どんなプレゼンでサーブすればみんなと食材が一番喜ぶ?」
そんな想いで過ごす数日間は、
どれほど豊かでしょうか。
誰かの笑顔を想いながら過ごす時間は、
与えているようで、実は自分が一番満たされている。
「あなたという素材を、丁寧に仕上げる時間」
自分を磨くことも、同じかもしれません。
「どうせ誰も見ていない」ではなく、
誰かに会う喜びを想いながら、
自分という素材を丁寧に仕上げていく時間。
食材が美しく整えられて皿の上に輝くように。
自分が丁寧に整えられて場に立つように。
それはきっと、あなたを一番豊かにする時間です。
あなたへの問い
あなたの周りに、あなたのために 走り回ってくれている人はいますか?
その人に感謝を伝えましたか?
そしてあなたは最近 誰かの喜ぶ顔を想いながら 自分を磨く時間を過ごしましたか?
豊かな時間は、いつでもあなたのすぐ近くに存在します。